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Posted by 滋賀咲くブログ at

2011年06月23日

琵琶湖でも!津波で集落が沈んだりしてる!【歴史の証明】

「防災とは…過去を調べて未来に備えることなり」 ということで…


今日は普段とは少々違った視点から、「守山市管工事業協同組合」と皆さま方との接点をあぶり出してみます。

私たち「守山市管工事業協同組合」は、平素から守山市内のライフラインに関して、「守山市上下水道事業所」さまの委託を受け、「水道修繕維持活動」などを行っております。

これは…
地震など、いざという時に、普段からの備えの意味合いで

(予算的には…かなり厳しい中でですけれど…)

それも我々自身の地元のためと信じればこそ
やりくりしてでも行う値打ちがあると考えています。


そしてそのためにも、できるだけ自分の会社があるエリアに関しては、いざの備えの意味合いからも、とりわけ集中して配管網を理解しておこうと努めています。


さてそんな我々の活動ですが、今まで滋賀県というのがあまり大きな災害もなく、そのうえ…太平洋岸のプレート境界面から離れているということで、津波の心配もないからと、関心が低いのが…私たちのいちばんの…毎日の心配のタネなんです。




実は昨日、守山市立図書館で開催されました、「平成23年度・文化歴史講座」の第1回として
(財)滋賀県文化財保護協会 濱 修 課長 のご講演

「琵琶湖の地震~湖底遺跡の調査から~」 を聞いてまいりました。

上述の心配ごとへの、何か情報が得られるかと思ったからです。


そして…個人的な動機としてはふたつ…

ひとつ目は…今守山商工会議所青年部が、多くの研究者の方の意見を聞いて唱えている「邪馬台国近江説」に繋がる発見が無いかということ。

そして…もう一つは…私こと「山野草」は…学生時代、この濱課長の下で!文化財調査補助のアルバイトをさせていただいていたからなんです!


そしてその当時から!濱課長さんからは、「琵琶湖の地震」 について…繰り返し、さまざまな知識を現場で教えて戴いたものでした。




これは当時もよく教わった、一番わかりやすい「噴砂」の例の写真です。

地震の液状化と地割れで…当時の竪穴式住居が真っ二つにされているのが…一目瞭然のものです。

この場合、住居のほうが地割れで潰されていますから、地震より古いものだとわかります。地震が先なら、地割れの上に、地割れを切るような形で、遺構が現れるというわけです。


そして何より驚いたこと!



なんと!琵琶湖にも津波があった!!!

信じられないようなお話があると言われたのです!

浅井三姉妹の生活した近く「塩津」の神社あとが、史実からも、現実の埋蔵文化財からも…実際に起こったことだと判明したそうです!

琵琶湖そのものも断層湖ですが、その西岸には、京都の「鼻折断層」と並行する「西岸断層帯」もあり、さらに…湖底にさえも、目に見えぬ断層が無数にあると…

そして何より…

記録だけでも10に及ぶ…M8クラスの巨大直下型地震が起き続け、何十何百という集落が、いまや琵琶湖の湖底に村ごと!沈んでいるというのです!


歴史が教える災害に対して、無策ではいけません!

それは…このたびの不幸な災害が、恐ろしいほどの犠牲を払った上で、証明してみせたではないですか!


私たち「守山市管工事業協同組合」は、今まで以上の思いを持って、この郷土「守山市」のライフラインを守るため、「水道修繕維持活動」にも全力で取り組んで、まず我々自身が、守山市内の配管網を、詳しく身を持って知っておこうと…今まで以上にその気持ちを強くしたのでした!  


2011年03月13日

本当の思いやりとは

本当に心から 哀しみを感じさせられる災害が たった今 目の前で発生しました。
今回も 実は災害が起こってすぐ 私の携帯にも 県、市町村との管工事業協同組合の防災協定に則って すぐに緊急出動要請に応じられるよう 指示待機 並びに 携帯電話の24時間携行の注意連絡が入りました。

けれど実際には 今すぐ行ってもどこから手をつけていいのか まだまだ現場は混乱していることと思います。
きちんとした調査と 必要な物資や人力の支援方法の量や方法の検討には いましばらく時間が必要でしょう。


やみくもに現地へ駆けつけて ボランティアを叫んでも 被災者の方々の食糧事情を悪化させ 休憩場所を奪うだけ まずは現地の責任ある方々の 正確な情報分析 判断を仰ぐしか 方法はないのです。





「被災地の冷静沈着で 規律正しい市民の対応 相互扶助の精神」

今回も 海外のメディアは こんなふうに報道しています。

・互いに声を掛け合い励まし合われる姿
・表通りの入口を開放し トイレや休憩所を提供される店舗
・駅の通路を確保してきちんと並んで疲れをいやす通勤者
 ・・・

もし復興が始まり 現地に行くことがあっても むやみにカメラを向けたり
ましてや記念撮影など 絶対に 絶対にしないで欲しい 当たり前のことだと思いますけど。  


2011年03月11日

「東北地方・太平洋沖地震」被災の方々への気持ち

大変ショッキングな災害が 我々の身近で起こりました。
16年前の「阪神・淡路大震災」こと「兵庫県南部地震」以上の規模の…

運転中だった私はその時には気付けず、帰社後皆の話題で知ったのでした。

阪神淡路のときには、ちょうど1月17日のその夜に、神戸市東灘区に住んでいる義父と義母が、まさに海外から帰ってきて、関空に到着する予定日。

帰る先がないことに気づき、午後から関空目指したものの、高速道路は全面通行止め。

だから…今度は一般道は全線渋滞。関空に到着した時は…もう日が変わっていました。

そこから連絡取ろうと大阪中のホテルと言うホテルに電話しまくりましたが、結局わからず。

後日、やはり大阪市内に一泊して、勇気を出してタクシーを拾い、嫌がる運転手に有り金すべて渡して、なんとか西宮まで…。

そこから東灘まで…戦時中のような悲惨な風景の中、ただただ歩き通して帰られたとか。





そんなこともあって、そのあとで募集があった「復興支援活動」ボランティアには、心からの思いで参加できたのでした。

さらに…その作業中に、作業車に戻るとフロントウインドウのワイパーに挟んであった小さなメモたち。
「ボランティア活動に感謝します」 なんて嬉しいメモだったか…。

皆も知っての通り、あの日を境に我々管工事業者たちは、ただの水道工事業者の商売人から、いざとなったら役に立てる、「ライフラインのガーディアン(守護神)」ちょっと大げさなれど、そんな誇りを感じられるようになったはずでした。





だからこそ、今回も「少なくとも…いつでも非常事態に備えて出動できるよう心づもりを!」しておかないとと思っています。





そのために…今日まで毎年何度も暑い日に、防災訓練を繰り返してきたわけですから…。





だからこそ、本当は出動指令がこなくてもよいくらい、被災者の方々が少しでも安全で、心安らかに生命を、財産を…失われずに済むことだけを、いまはただ、ここからお祈りしているのです。